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年末ジャンボ宝くじ

ある日の会話。

 

店長:「大金持ちになってみたい」

 

夫:「すいません、すいません、ただのサラリーマンで」

 

店長:「違う違う。

   『お金持ちの妻』になりたいわけじゃ、ない。

   自分が、お金持ちになってみたいの」

 

夫:「頼むわー。オレ、『お金持ちの夫』になりたい」

 

店長:「でも私、中寿美辞めるつもりないし、

   中寿美やってる限り、お金持ちになりそうもない」

 

夫:「宝くじか」

 

店長:「宝くじだな」

 

10億円、当たるといいなあ。

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 09:52
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日本語は難しい

先日、お世話になった親戚のおじを連れて、姉と3人で温泉に行った店長。

都会暮らしの長いおじさんに、ふるさと信州の味を楽しんでもらおうと企画しました。

 

宿での夕食時、我々のテーブルのサービスを担当してくれたのは、とても感じの良い若い台湾人の青年です。

一品ずつお料理が出されるたびに、

「こちら、シナノユキマスです」

「こちらはシンシュウサーモンです」

「キジマサン(木島産)のコシヒカリです」

などと、長野県産のお料理の説明も、丁寧にしてくれました。

出身が台湾と聞いて、おじが中国語で話しかけると、「スゴイデスネ!」と喜んで、それでもすべて日本語で答えていた彼。

 

そして、グラスワインが出てきた時、おじが「このワインはどこ産かね?」と彼に尋ねました。

それまで、流れるように献立を説明していた彼が一瞬躊躇したので、店長は助け船を出すつもりで言いました。

「小布施産かな?」

すると、「……あ、ハイ」と答えて一旦厨房に消え、でも、すぐに戻ってくると、彼は言いました。

 

「スミマセン。先ほどのワインは間違っていました。申し訳ありません。

 こちらのワインは、『シオケツサン』です」

 

ん?

「シオケツサン」って聞こえたけど、「ショーケツサン」? え? 「ショウケッサン」?

えーと、どこだろう?

しばし似たような発音の地名を脳内で検索していると、姉が言いました。

 

「塩尻産だ! 塩尻! 塩尻!」

 

シオジリ? いや明らかに「ジリ」ではなかった……あー!!

『尻』の字を、台湾青年は、『シリ』ではなく『ケツ』と、意味から考えて読みを間違えてしまったのです。

 

「いや〜、なるほど! わっはっは!」と喜ぶおじ。

「スミマセン。シオジリサンです」と恐縮する台湾青年。

いいよいいよ、大丈夫!

こういう間違いは、楽しいですね。

 

そして翌朝の朝食時。

焼き魚を差しながら、「これは鮭か?」と問うおじに、「違う違う、これは鮭じゃないよ。なんだろう?」と言いながら御献立が書かれた紙を見る姉と店長。

献立表には、『狭腰の幽庵焼き』の文字が。

「…………」

『狭腰』を読めずに、献立表を見つめたまま黙り込む我々姉妹。

 

すると、朝食も我々のテーブル担当として脇に立っていた台湾青年が言いました。

 

「サワラです」。

 

「サワラ?」「え、『狭腰』ってサワラって読むの?」「知らなかった」「サワラって魚に春じゃなかった?」と、ざわつく姉と店長。

「サワラです」とキッパリ繰り返す、今度は自信ありげな台湾青年。

 

食べてみると、味はやはりサワラだったので、「サワラって『狭腰』って書くんだー」と思った店長ですが、違いました。

無知な店長は知らなかったのですが、サワラは出世魚で、幼魚の頃を「サゴシ」と言って「狭腰」と書くのです。

たいへん勉強になりました。

 

日本語、難しいですね。

日本の言葉も文化も、日本で生まれ育った者にとっても、難しいのです。

あらためて、台湾青年に尊敬の思いを強くした店長です。

 

 

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 10:06
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そういうくくり?

たびたびこのブログでも滲み出てしまうのですが、店長はフィギュアスケートファンです。

やはりフィギュアスケートオタクの友人と電話をしながら、宅配カタログを眺めていたある日。

何気なく開いたページに、来年のカレンダーがいくつも紹介されていました。

 

 

羽生結弦選手と宇野昌磨選手のカレンダーが載ってる!

 

思わず、「うわ! 羽生君としょーまのカレンダーがカタログに載ってるよ!」と、興奮して電話相手の友人に報告してしまいました。

 

友人:「へえー。そうなんだ」

店長:「すごいすごい! あれ? でも……

 『羽生結弦』、『宇野昌磨』ときて、『氷川きよし』が並んでる。

  え? なぜこの並び?」

友人:「くくりが同じってことだね」

店長:「いや違うでしょう!

 スポーツ選手と演歌歌手は、同じくくりじゃないでしょう。

 それに、しょーまはどちらかというと、上にある『マメシバ』と同じくくりのような気が……」

友人:「イヤ、だから、羽生君やしょーまのファンが、きよしのファン層と同じってことだよ」

店長:「え? 追っかけオバチャンってこと?」

友人:「そうそう。まあ、アタシはカレンダーなんてどうでもいいんだけど〜」

 

いや、店長も、カレンダーが欲しいわけじゃないんです!

店長のこの反応は、ノービスやジュニアの小さい頃から注目していたスポーツ選手が、あっという間に有名になって、こんな田舎の宅配カタログにまで掲載されるほどの、一般的に知名度のある人気選手になっていることに対する感慨深さ。

万人にとって愛され度最上級と思われる豆柴、子猫、ジブリときて、スター氷川きよしと共に、絶賛発売中なんです。

 

店長も友人も、スポーツとしてフィギュアスケートが好きで、現地観戦などはなかなかできないけれども、ルールを覚え、演技後はジャッジの採点表を調べ、どの要素がどんな評価だったのかを確認する手間を惜しみません。

各選手がどんな構成で、どんな難易度で、どんな表現を披露してくれるのか、昨シーズンからどれだけ成長しているのか、それがわかるのが楽しいのです。

 

でも、カタログに掲載されているカレンダーのお値段が、ふと気になってしまった店長。

 

店長:「値段が、微妙に違う。

    羽生君より、しょーまの方が、90円高い。

    そして、しょーまより、きよしの方が、180円高い。この違いは何?」

 

呆れたように、「……どうでもいいよ」と呟く友人。

あ、ハイ、確かにどうでもいいですね。

スミマセン。

どうでもいいことがどうしても気になる店長、やっぱり追っかけオバチャンと同じくくりでしょうか。

 

とにもかくにも、長年熱中できるスポーツがあるって幸せです。

オリンピックがとても楽しみな店長です♪

 

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 09:55
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先の尖った靴

地下鉄などで、スタイリッシュなスーツに身を包み、先の尖った靴などを履いて毛先を遊ばせ、スマホやタブレットを操作しているビジネスマンを見かけると、

 

「上前を撥ねてる奴らだな! 胡散臭い」

 

と必ず決めつける知り合いがいます。

「どうしてそう思うの?」と店長が聞くと、都会的なイケてるビジネスマンは、「何かを右から左へ動かすだけで、ラクして大金を得ている特権階級」に見えるとのこと。

ものすごい偏見!

店長が思うに、そんなビジネスマンは、どちらかというと上前を撥ねられている方で、本当に上前を撥ねている人というのは、そもそも地下鉄に乗ったりしないと思うのです。

でも、先の尖った靴だけは、たしかにちょっと気になります。

スタイリッシュなスーツも遊ばせた毛先もスマホもタブレットも何の問題もないけれど、先の尖った靴だけはちょっと気になる。

この抵抗感、なんだろう?

 

姉が働く過疎の村で、若い女性の仕事仲間も言っていたそうです。

「東京から来た男の人って、なんで先の尖った靴履いてるんですかね?

 あれ、胡散臭いですよね。

 あんな靴、村じゃ誰も履いてませんよ」。

そして彼女は、男性の先の尖った靴を見つけるたびに、「胡散臭いからやめた方がいい」とアドバイスしているそう。

相当気になるようです。

 

試しに「先の尖った靴」で検索してみると、「女子が嫌いな男性の先の尖った靴」とか、「先の尖った靴が女性に嫌われる理由」とか、ズラーッと出てくるので、どうやら一般的にも女性に不評なんですね。

蒼井優も大嫌いみたいです。

なぜここまで女性に不人気なのか。

 

靴の尖りと反りが強いほど、仕事に対するモチベーションも上がるらしく(ホント?)、先の尖った靴を好む男性には、意識高い系が多いという説もあるようです。

プライドが高くて細かく、ナルシストで自己顕示欲の強いタイプが好みやすいとも。

「意識高い系」「プライドが高い」「細かい」「ナルシスト」「自己顕示欲強し」

……これは……苦手意識が芽生えそう。

 

さらに、「尖った靴」というのは「武器」を連想し、実は恐怖を内に抱えながらも靴で相手を威嚇しようという潜在意識の表れという説も。

女性の靴の尖りがそれほど話題にならないのは、この潜在意識が、女性なら「防御」になるからということらしい。

正否はともかく、いろんな分析があるんですね。

 

胡散臭いかどうかはわかりませんが、店長が気になるのは、きっと見ただけで足が痛くなるのが理由です。

外反母趾なんです。

というわけで、尖った靴も丸い靴も、ヒールも長靴も登山靴も、大歓迎のcafé中寿美です。

 

 

 

 

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 10:11
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「フン」考

café中寿美のある飯綱高原は、野生動物が普通に行き来しているので、あちこちで動物のフンを見かけます。

中寿美の駐車場でも、木の実の種やら甲虫やらがたくさん詰まった野生動物のフンを見つけることがあり、

「イタチかな、タヌキかな、キツネかな……?」

「木の実をたくさん食べたんだねえ」

「こっちは虫好きさんかな? それとも、虫しか取れなかったのかな」

などと、森の動物たちの食生活について思いを巡らせます。

 

ところが、これがペットのフンだったりすると、全然反応が違うのです。

ごくまれに中寿美駐車場で、明らかにペットと思われる動物のフンが発見されたりすると(過去2回だけで、そのうち1回は店長が散歩させた姉夫婦の飼い犬「ぎん」のものである可能性大で、要するに自分のミスですが)、

「あ! これ、ペットのフンだよね? 

 どこの犬? 飼い主誰? 

 ちゃんと始末してくれないと困っちゃうんだよねー」

という、ちょっとした怒りに即変換されます。

 

野生動物なら食生活まで思い浮かべて楽しい気持ちになり、ペットだとカチンとくる。

店長は「犬」という字にさえ愛しさを感じるほどの犬好きですが、それでもカチンとくる。

そこに「フンがある」という状況は変わらないのに、発見した時の自分の感情のこの違いは何だろう?

 

やっぱり、野生動物の排泄には故意も過失もないけれど、ペットの場合は飼い主に対してそれを感じてしまうからでしょうか。

悪意はもちろん、飼い主が当然負うべき配慮や責任を、逃れていることに対する腹立ち。

そこにある「フン」が、ペットのものであると察知するやいなや、それだけの思考を瞬時に巡らせて、わざわざ怒りの感情を捻出しているわけです。

野生動物の場合に巡らせるのどかな想像と、ずいぶん違う。

 

だけど、カチンとしようがしまいが、結局はそこに残されたフンを片づけるだけのことです。

誰が残したフンであろうと、状況もやることも変わらないのであれば、妙に感情を乱すだけ自分が損のような気もします。

 

ところで、残された「フン」のサイズが大きかったりすると、また話が違ってきます。

たとえ野生動物のものであろうと、クマが推定されれば、「何食べたのかな〜?」なんてのどかな想像では済みません。

さらに、野生動物のものでない場合は……。

いろんな感情が湧いてきそうですが、恐怖も入ります。考えたくありません。

いずれにしても、森の散歩は足元にご注意なのであります。

 

 

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 10:23
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丁寧語になる頃

親しい友人の子供たちが、小学校高学年になったあたりから突然丁寧語を使い始めた時、店長は戸惑いました。

小さなころは、「フミちゃん、フミちゃん」と店長にまとわりついて、ずっとタメ口でおしゃべりしていたのに、ある日突然「ですます調」で受け答えを始めるのです。

 

例えば、「あれ、その傷どうしたのー?」と店長が聞くと、「あのねーあのねー、学校で転んだの!」という無邪気な返答だったのが、「ええと、学校で、転びました」となる。

 

(……え? 『ました』?)と困惑して、次の言葉が浮かばなくなってしまいます。

なんだか急に距離を置かれた気分になるのです。

 

でも、彼らは社会性を身に着けたということ。

家族以外の大人には、きちんと丁寧な言葉で話すという礼儀を、いつの間にか備えたのです。

寂しいような、嬉しいような、複雑な気持ちになる店長。

 

電話の応対だって、お手のもの。

 

店長:「もしもし、フミコですけど〜。あ、R(友人長男)かな?」

長男くん:「あ、はい。Rです」

店長:「お母さんいるかな?」

長男くん:「えっと、今、出かけていて留守です」

 

丁寧語で話すうえに、ちゃんとした電話応対ができる。

カワイイなあ、いい子だな〜と嬉しくなって、店長が「そっかー、じゃあ、またかけるね!」と言うと、長男くんは言いました。

 

「あ、じゃあ、帰ってきたら、

 フミキチから電話あったって伝えます(ニヤリ)!」

 

『フミキチ』?

『フミちゃん』だったのに。

 

そしてやはり小学校高学年になった次男くんも、電話応対完璧です。

 

店長:「もしもし、フミコです〜。こんちわー。Kかな?」

次男くん:「あ、はい。Kです」

店長:「お母さん、いる?」

次男くん:「えっと、今留守です」

店長:「そっか、じゃあ、またかけ直すね〜」

 

というやりとりの間じゅう、電話口の向こうから、中学生になった長男くんの声が聞こえてくるのです。

 

「フミキチ? フミキチ? フミキチだろ?! フミキチなんだろ?!」

 

ええはいはい、フミキチですよ。

もうフミキチでいいですよ。

「フミちゃん」→「フミキチ」→「?」次はなんだろう?

出世魚みたいです。

出世してない感じだけれど。

願わくば、「オバサン」「ババア」になりませんように。

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 10:10
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新しい何かを始める人に

店を始める少し前、飯綱高原のひっそりとした森の中で「喫茶店をやろうと思う!」と、思い切って知人に打ち明けた時、「やめなって。こんな山の中、誰も来ないよ」と言われました。

新しい何かを始めようという時に、悪気はないとわかっていても、ネガティブな助言を受けるのは、そこそこのダメージを受けます。

 

もちろん、「やめておいたほうがいいよ」「食べて行けるの?」「最初は良くても、続けていくのは厳しいよ」等々、大変ごもっともで、だけど出鼻をくじく言葉を発する人たちは、心配してくれているんです。

新しく何かを始めるということは、当然リスクがあるからです。

口には出さなくても、内心では同じように思う人はかなりいるはずで、だからそういう正直な反応も、しっかり聞くことは重要です。

特に、家族や、信頼できる友人の言葉は、どんなにネガティブでも重く受け止める必要があります。

 

でも、他人が思いつくリスクは、本人はすでにさんざん考えたはずで、悩んで迷って決意表明しているはずです。

中寿美みたいに小さな店でもそうだったんだから、もっと大きなことをやろうとする人は当然だと思うのです。

だから、店長は誰かの「新しいことを始める」決意を打ち明けられたら、迷わず「いいね!」と賛同することにしています。

そういう前向きな言葉が、自分にとって新しいことに向かうエネルギーになったからです。

 

確かに、どんなことにも大変なことはあるし、嫌なこともあるし、失敗することもあります。

でも、一大決心をして自分の判断で踏み出したことは、たとえ辛いことがあっても、それ以上に楽しいです。

新しいことを始めようとする時に浴びせられるネガティブな言葉の洗礼は、それでもやろうと思う意志の強さを試されていて、その後の困難を乗り越えるために必要なのです。

 

「誰も来ないよ」と言われて、それでも店を始めて、はや10年。

「誰も来ない日」は確かにありました。

10年間、約2400営業日のうちの、3日です。

今のところ、「誰か来た日」の圧倒的勝利。

とはいえ、来客ゼロ日が3日だけだからって、大繁盛のウハウハなわけでは決してなく、「本日のお客様、1名様のみ」という日は、10年経った今でも、ある日突然襲ってきて焦ります。

 

「何かを始める」までには、実は長い長い時間がかかります。

「構想〇年」というように、「やろう!」と思ってからも自分の中で悩んで迷って、そして思い切って人にそれを打ち明けても、実際に行動に移すまでにも時間はかかるものです。

誰かに決意表明をしたけれど、とうとう何も始めなかった、ということもあるかもしれません。

でも、別にそれでもいいと思うんです。

構想年数をひたすら更新し続けることも、それはそれで楽しく素晴らしい時間だから。

 

店長宅のトイレの格言にもあります。

 

「夢をもつんだね 

 夢で終わっても いいじゃないか

 人生はそれだけで豊かになる」

 

というわけで、新しい何かを始めようとする人を、お金は出せないけれども気持ちで応援する店長です。

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 11:59
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秋の雨の日に

先日迎えた中寿美10周年記念日。

この日に、初めてご来店の、ある男性のお客様がいらっしゃいました。

軽井沢でお店を構えて41年というお店のオーナーさんです。

10年だってけっこうしんどかったのに、41年ってすごい。

今は軽井沢だけの店舗だそうですが、長野市内でも営業されていた時期もあるとのことで、お店の名前を聞いて驚きました。

店長が学生時代にお邪魔したことのある喫茶店だったのです。

中寿美の開店記念日に、偶然、同業の大先輩、しかも学生時代に度々お邪魔していたお店のオーナーさんがご来店されるなんて、なんだか嬉しいなあと秘かに感動してしまう店長。

そして、自分が学生時代に珈琲一杯でずいぶん長居していたことを、申し訳なく思い出します。

 

大先輩のご来店に、緊張しながら珈琲を淹れた店長ですが、その方は偉ぶるわけでもなく、先輩風を吹かせるわけでもなく、「軽井沢に来ることがあれば、ぜひ寄ってください」と優しくおっしゃって、お帰りになりました。

 

そしてそのしばらく後の、雨の日。

そのオーナーさんが、またいらしてくださいました。

近くでゴルフの予定が雨で中止になり、空き時間に珈琲を飲みに寄ってくださったのです。

静かな秋の雨の午前、中寿美店内で、「お客様が誰もいない時間をどう過ごすか」「冬は大変だよね」「有名人って誰か来たことある?」等々、大先輩と、同業者ならではの話ができるのを嬉しく思いながらお話していると、その方がおっしゃいました。

 

「作家の有吉佐和子さんが、ずいぶん昔に来てくれていたんだよ。

 少し前に出版社から電話がきて、『作家の珈琲』って本を出すけれども、

 有吉佐和子さんの娘さんがうちの店のことを覚えていてくれて、

 載せてもいいだろうかっていう話だったの。

 当時娘さんはまだ小さかったと思うのだけれど、

 覚えてくれていたんだなあって嬉しかったですね」

 

ん?

『作家の珈琲』? 

その本って……。

 

 

実はこの本、中寿美オープン以来の大切な常連様から、つい最近いただいたものなのです。

「いや、驚いた! この本だよ」

とオーナーさんも手に取って、該当ページを開きます。

 

中寿美の記念日に、たまたま老舗店のオーナーさんが訪れ、さらにその方が話題にした本が、偶然にも目の前にある。

なんだかいろいろ繋がっています。

 

作家という有名人だからこうやって本に載ったり、話題になったりするのだけれど、実際まるで無名の店長の記憶にも、この方のお店は存在していたわけで、何十年もお店を続けるということは、有名無名にかかわらず、本当にたくさんの人々の記憶に残るということで、それってとても素敵なことです。

 

作ったばかりの『中寿美だより』を手に取りながら、「頑張っているんだね。また寄らせていただきます」と静かにおっしゃってお帰りになった大先輩。

尊敬の思いを込めて見送った店長です。

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 09:40
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ちっちゃい2人

人よりも、「得しようとする」のと「ラクしようとする」のが、ダメ人間の傾向。

店長、どちらかというと「ラクしようとする」方のダメ人間です。

一応、学校や職場、社会の中では理性が利くので制御してきたつもりですが、家庭内となると話は別。

 

たとえば、シャンプーの詰め替え。

「ああ、もうちょっとでシャンプー終わりそう」と思うと、微妙に使用量を調整してしまいます。

今、使い切ってしまったら、今、詰め替えなければいけないから。今、詰め替えればいいんですけど。

詰め替えの手間を先延ばしにしようという先送り思考もありますが、もし夫が使う時に使い切ったら、きっと彼が詰め替えてくれるだろうという「人よりラクしよう」思考です。

 

ところが、次回店長がお風呂に入ると、シャンプーの量はさらにさらに減ってはいるものの、わずかに残っている。

ほんの少し残るそのシャンプーに、

「絶対に、オレの回で終わらせない。絶対に、詰め替えない!」

という夫の信念が伝わってきます。

それを感じ取った店長、心で舌打ちして今度はお湯でシャンプーを薄めます。

そんな手間があれば、新しいシャンプーを詰め替えればいいのですが、「詰め替えたら負け」という意味不明な信念を店長も持ってしまうのです。

そして、次回。

もう使い切るしかない状態のシャンプーを使ったはずのお風呂上がりの夫が、不敵な笑みを浮かべてこちらを見るのを不思議に思いながら次に店長がお風呂に入ると、シャンプーのボトルはキッチリ使い切った上にピッカピカに磨かれ、そして、詰め替えられていない。

ついに諦めた店長が、新しいシャンプーを詰め替えます。

 

そんな話を友人に話したら、彼女が言いました。

 

「ちっちゃい!! 小さ過ぎる!

 うちの小3の娘でさえ、

 『後の人が困らないように、私、詰め替えて置いたよ』

 って言うよ?

 アンタ達、ちっちゃいなー! 呆れるわ!」

 

そう、我々夫婦は小3以下の、とことん『ちっちゃい2人』なのです。自覚してます。

 

ちなみに、この極めて低レベルな沈黙の戦い、シャンプー以外も食器洗い洗剤でも繰り広げられている我が家。

でも。

確かに超低レベルなんだけど、一緒に暮らす誰かがいてこそできるこの戦い。

小さいうえに屈折した喜びを、秘かに噛みしめるダメ人間代表店長です。

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 09:25
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電車のボタン

実家へ帰省する際に、久しぶりに飯田線に乗りました。

飯田線と言えば、知る人ぞ知る秘境路線。各駅停車のディープなローカル線です。

店長はこの飯田線で、10代のほとんどを毎日通学しておりました。

 

実家の最寄駅の2つ手前の駅には、店長も通った中学校と、町内唯一の高校があり、この日もたくさんの学生さんが乗り込んできました。

それまでかなり空いていて静かだった車内が、一気に学生さんで溢れます。

急に賑やかになって、いろんなタイプの若者がひしめき合い、もうなんだか若いエネルギーがダーッとなだれ込んできたような感じがしました。

ほとんどの学生さんは、ドア付近のスペースに立ったまま、それぞれ話をしています。

学生時代の店長もそうでしたが、学生さんはあまり座席に座らないのです。

ボックス席で帰省の荷物と共に座っていた店長は、思いました。

「ああしまった。降りる時、人混みを掻き分けるの、面倒くさいなあ」と。

 

そこで、少し早めに席を立ち、ドア付近のスペースに向かった時に気づいたのです。

学生さんがたむろするドアの横に、大きなボタンがある。

これは、乗り降りする際に乗客が自分でドアを開閉するためのボタンです。

飯田線のドアは、自動で全開しないのです。

外気が、開け放ったドアから車内に入るのを防ぐためです(特に冬は切実)。

だから、乗り降りする人は、自分でボタンを押してドアを開け、入ったり出たりしたらすぐにまたボタンを押して閉める。

これがマナー。

店長が通学していた頃は、まだボタンは無くて、駅で停車すると自動でほんのちょっとドアが開き、乗降客はその隙間に指を入れて自力で重いドアをこじ開けるのが主流でした。

今はボタンなんですね。

 

さて、そのボタンと店長の間には何人もの学生さんがいて、辿り着くにはそこそこのエネルギーが要りそうです。

(どうしようかなあ)と思っていうちに、ついに電車は降りるべき駅のホームに入っていきました。

(ボタンを押さねば! 押さねば!)と店長が突き進むと、ボタンのすぐ前に立っていた少女が、店長の方を見ながらはにかんだような表情を浮かべ、そっとボタンに指を伸ばしたのです。

それを見て、(ああよかった、この子も降りるのね!)とホッとして、彼女に軽く会釈をしながら、開いたドアから先に下車した店長。

 

そしてホームの端で車掌さんに切符を渡し(無人駅なのです)、去っていく列車を見送りながら気づきました。

店長以外、誰も降りてない!

あの少女は、店長のために、ボタンを押してくれたのです。

荷物を抱えて必死で降りようとアピールしている、いかにも不慣れな感じのおばさんのために。

感激。

店長が、15歳の少年だったら、間違いなく恋に落ちてます。

可愛かった! あの子。

察してわざわざボタンを押してくれた彼女に、ちゃんと「ありがとう」と言うべきだったと後悔するおばさん。

 

実家に辿り着き、さっそくこの話を両親にしたところ、なんと父は以前、乗車する時にボタンの存在に気付かず、ドアが開くのをじっとホームで待っていたら、目の前で列車が発車して乗りそびれたことがあるそうです。

年老いた父が、開かずの扉の前でじっと待ち、そして1時間に1本の貴重な列車が目前で去るのを眺めながら、うら寂しいホームでぽつねんと佇む様子を思い浮かべて、なんとも切ない気持ちになる店長。

木枯らしがぴゅるる〜っと吹く感じです。

ローカルルールって難しいですよね。

 

とにもかくにも、ふるさとで、素敵な若者に出会えて幸せな気持ちになった店長でした。

 

 

 

 

author:中寿美, category:店長のひとりごと, 08:57
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