信号もコンビニもない雪深い山に暮らして、いまだにスマホを持たず、SNSもやらなくて、テレビも新聞も見ないとくれば、たいていの人から「変人」と思われます。
だけど、店長の周囲には同じように暮らす人ばかりなので、自分が少数派だということを、つい忘れてしまいます。
考えてみれば、自民党支持者には心当たりがないし、身近でAKBやジャニーズのCDを買ったという話も聞かないのに、選挙をすると自民は圧勝、CD売り上げはアイドルが席巻。
つくづく、自分は世の中の片隅にいるのだと認識させられます。
誤解されると困るのですが、少数派というのが、不満なのではありません。
むしろ、ちょっと誇らしい気分。
けれども、多数派に属する人の中には、そんな店長を憐れむ人もたまにいて、
不便な環境に住んでいる上に、スマホやSNSに縁のない時代遅れの情報難民、と決めつけられる時が時々あります。
そんな時、店長は、
「いやいや、自ら進んでこの生活を選択している。あえて多くの情報を求めない環境を作っているのです」
とは言いません。
説明したところで、まず伝わることはないと知っているから。
そしてただ黙って、自分の頭の中にある「その他大勢」のファイルを取り出します。
確かに、情報は必要です。
店長だって、携帯電話は持っているし、インターネットも利用しまくります。
でも世の中には、必要のようでいて実はそれほど必要ではない情報が、わんさか溢れていて、四六時中情報収集していたら、自ら考える時間がなくなってしまうと思うのです。
少なくとも店長は、そんなに多くの情報を取捨選択して分析する能力をもちません。
自分がまともに処理できる範囲の量しか、受け取りたくはありません。
ある映画のセリフを思い出します。
「なぜ山に行くのか? 山の何がそんなに素晴らしいのか?
それは、孤独だ。静寂だ。
山にいると、大切なのは『生きぬくこと』だけだと感じられる」
店長は、登山家でもないし、すぐに人を頼る甘ったれだけれど、この言葉には鳥肌が立ちます。
山に暮らす変人たちは、このセリフの意味がわかる人。
そして、わざわざ山に行かずとも、この意味を理解している変人も、います。
カンタンに、お手軽に、価値あるものは手に入らない。
自分で体験して感じて、そこから考えることの中に、本当に大切なメッセージが溢れていると、店長は思います。
きっと、肝心な時に頼りになるのは、自分の経験と思考です。
雑音を消して、シンプルに、数に頼らず生きることで、手にすることができるもの。
そういうものに、憧れます。